慟哭

悲しみに包まれている。11月19日、オカメインコのいーちゃん(いずみ)が急逝した。朝、母から電話があり、いーちゃんが弱っていて死にそう、と伝えられた。俺はすぐに電車に乗り、走って実家まで帰った。電車の中で胸騒ぎがして、神様どうかいーちゃんを助けてと祈っていた。

タクシーから降りて実家まで飛んで帰り、急いで玄関を開けると、カゴの中で横たわっているいーちゃんを見た。俺は雷に打たれたかのような衝撃を受け、大声で泣き叫び、いーちゃん!!いーちゃん!!と絶叫し、泣き崩れた。ずっとうずくまって泣いた。母さんも啜り泣いていた。

しばらくしていーちゃんのもとに駆け寄り、カゴの中からいーちゃんを出して抱いた。いーちゃん、生き返って!生き返って!と泣き叫んだ。いずみは目を閉じ、もう動かなかった。涙と鼻水がボロボロといーちゃんの亡骸に落ちていった。嫌だよ、死んじゃやだよ、嘘だろこんなの、と嘆いていた。

 

俺も母さんもずっと泣いていた。母によると前日の土曜日は寒く、母は病院などで一日中いーちゃんをひとりぼっちにしていた。土曜の朝はまだ元気だったそうだ。日曜の朝、母が夜に被せる布を取ってみると、いーちゃんがカゴにもたれかかっていて、目を閉じていたそうだ。いーちゃん元気出して、と言って、心配で俺に電話をかけてきた。俺は友達とバカな話をしていた。その頃、いーちゃんは寒く、寂しい思いをしていたのだ。その後、母がストーブを持ってきてあげたそうだが、元気にならず、弱っていった。

最期に、俺が来る直前、パッと目を開いて、一度羽ばたいたそうだ。そして痙攣のようなものを起こし、バタッと下に落ちたらしい。もうすぐけいくんが来てくれる!と感じたのだろうか。最後の力を振り絞って俺に会おうとしてくれたのだろうか。

 

月曜日にコロナワクチンで一旦実家に戻って、水曜の昼までいーちゃんと一緒に過ごした。副反応で熱が出てお腹や布団の上に乗せたりしていた。元気に飛び回っていた。あれが最後だった。いーちゃんは明らかに様子がおかしかった。そわそわして、俺から離れるのが不安でしょうがないようだった。寒くて、顔を背中の羽毛の中に入れたりしていた。

引っ越しは間違いだった。間違いでもせめて、すぐにいーちゃんを連れてくるべきだった。実家にいればいーちゃんを守れた。連れてきても守れた。俺もいーちゃんのいない一人暮らしは限界だった。いーちゃんがいなくて寂しくて、帰るか連れてくるかしかなかった。そう考えていた矢先のことだった。たった2週間でいーちゃんは死んでしまった。いーちゃんは大きなことは何も求めていない。いーちゃんはただ俺とずっと一緒にいたかっただけだ。いーちゃんは俺と離れたくなかった。それが色々な人間の都合で辛く寂しい思いをさせてしまった。いーちゃんファーストで考えなければならなかった。今回は理性で考えたが、良心で選ばなければならなかった。いーちゃんはコゼットだった。俺という寂しい男のもとに来てくれ、俺がどんな人間でも、無条件に慕ってくれた。無償の愛を与えてくれた。すぐそばに宝物があったのだ。いーちゃんこそ幸せそのものだった。俺はいーちゃんがいても孤独だと思っていた。間違いだった。いーちゃんは俺さえいてあげればよかった。また会えたら、今度は絶対に応えてあげるからね。待っててね。

 

19日も20日も、いーちゃんを枕のそばに置いて一緒に寝た。何度も泣いた。いーちゃんの安らかな顔を見て、母と一緒に何度も撫でてあげた。キスもした。よく見たら綺麗なまつ毛をしていた。またこのくちばしで噛んだりつついたりしてほしいな、また指に乗ったり肩に乗ったりしてほしいな、また歌ったり俺を呼んでほしいな、うんちもしてもいいよ。また一緒に遊ぼうね。

俺がそばに来るのが、とても嬉しそうにしていた。負けないでを歌っていたらそばに行って、すごいすごい、上手じゃねー、と拍手してあげたら、わーい!という感じで口を開けて喜んでいた。愛おしかった。俺が来たら翼を広げて喜んでいた。こんな俺ををだ!!

亡骸の前で、口笛で負けないでを吹き、オルゴールを鳴らしてあげた。

 

3日目の21日の朝、うちの墓場に埋葬してあげることにした。小烏の山は寂しそうだし、うちの庭はいつかブルドーザーでも入るかもしれないから。バケツに綺麗な土を入れて、子供の頃よく遊んだ道を通って墓場まで歩いた。いーちゃんは花柄の布で包み、リュックに入れていた。

墓場に着き、ちょうどうちの真ん中の墓の左側に少しスペースがあり、夭折したご先祖様のお地蔵様の後ろだった。土を掘ったが硬く、浅くしか掘れなかった。その穴にいーちゃんを安置し、副葬品として、かじりま専科というおやつとボールのおもちゃ、俺のメッセージカードを胸元に入れた。最後のお別れをして涙があふれてきた。ご先祖様の前で、ぼくのいーちゃんです、どうか可愛がってあげてください、と祈った。

いーちゃんの亡骸の上に、持ってきた綺麗な土を被せて、いーちゃんのはか、と書いた墓石を上に置いた。最後に真剣に祈った。生まれ変わって必ずまた君を探し出すからね、見つけるからね、ぼくを忘れないでね、今度はずっと一緒だよ、それまで待っててね、と祈った。晴れた日だった。

 

家に帰ってからも、まだいーちゃんがいる気がした。存在感があった。カゴの中にいーちゃんがいないのが信じられなく、悲しかった。母さんとしばしば咽び泣いた。

あまりにも早すぎる死、まだ生後1年だ。これは俺の責任である。いーちゃんを守れなかったことを悔やんでいる。もっともっと一緒にいたかった。日向ぼっこも、飛ばせたりも、もっとしてあげたかった。ごめんね、いーちゃん。そして、たくさんの幸せをありがとう。

 

人に蔑まれても、俺のことを100%慕ってくれる一匹の鳥がいた。俺はそれを死んでも忘れない。いーちゃんは俺のことが大好きだった。俺もいーちゃんのことが大好きだった。けいくんきてきてー、好き好きーと呼んでくれていた。きっと神様が送ってくださったのだ。いーちゃんは俺のすべてだった。

いーちゃんは俺に喜んでもらおうと、必死で負けないでを覚えてくれた。俺へのラブソングであり、私のところに来て、という合図だった。また会えたら一緒に歌おうね。

まだいーちゃんが肩に乗ってくれているような気がします。いーちゃんは手乗りになるのも早かった。1週間で手に乗り、肩に乗ってくれた。すごく嬉しかった。いーちゃんは俺の心の穴を埋めてくれた。ありがとう、いーちゃん。

生まれ変わったら、俺がオカメインコのオスになってつがいになるか、いーちゃんが人間の女になってまた巡り会いたい。それまで待っててね。俺のこと忘れないでね。

 

いつか小烏の天の門の向こうで、いーちゃんが迎えてくれますように。すぐにそっちに行くからね、君のことは絶対に忘れないよ。きっとまた肩に止まってくれる、歌ってくれる、俺を呼んでくれる、そう信じています。

 

令和5年11月23日 愛するいずみへ